ミスティック・リバー

wowowで『ミスティック・リバー』を鑑賞。
クリント・イーストウッド監督作品でアカデミー主演男優賞、助演男優賞を受賞している。
どうしてイーストウッドはこういう評しにくい作品なんだろう。『ミリオンダラー・ベイビー』では女子ボクサーとベテラントレーナーとの愛の影に「尊厳死」という問題提起をし、この『ミスティック・リバー』では子供の頃の記憶を共有する3人と娘の死という悲しみのサスペンスの裏に明らかな「政治批判」「アメリカの暴走」が読み取れる。
ジミーは愛する人のためという理由でどんなことでもしてその都度自己を正当化し続けてきたこの町の帝王。ショーンはジミーの悪事に反対でありながらもジミーを敵に回すことの不安から黙認し続けてきた刑事。そしてデイヴは弱者はより弱者になることの象徴であり少年時代のトラウマを抱えている、最後には信じていた妻にまで裏切られる。
ジミー、ショーン、デイヴの3人はそれぞれがアメリカ、国際社会(国連、フランス、ドイツ)、イラクアフガニスタン)のメタファー。そのメッセージを込めた作品らしいキャスティングやテーマの「報復の連鎖」から見ても明白。
物語としても深く読み解くことが可能な作品。
ミスティック・リバーが過去の出来事や罪を洗い流すという表現が出てくるけれど、洗い流してくれると感じているのがジミーだけなのにも注目。デイヴやショーンのトラウマは薄れてなんかいない。妻の「あなたは王よ。愛する人のためやったこと、あなたは間違ってなんかいない」という言葉で、ジミーが背負う大きな十字架の刺青が皮肉なほどにジミーの中の罪悪感は薄れはじめる。この差に愕然とする。デイヴの妻に残った罪悪感は決して薄れることはないのに。
デイヴが連れ去れる事件がおきたときも、乾く前のコンクリートにイタズラを始めたのはジミー、それに続いてショーン、最後はデイヴがDAと書いたところで男たちに声をかけられた。「永遠に名前を残そう」と書いた名前、しかし永遠に残った名前はDA。そのDA自体がデイヴをそのものだった。
デイヴの息子はそのDAの意味を知ることはないだろう。しかし、父の最後をいつか知ったときその報復の連鎖は続くのだろうか。
アクターズ・スタジオイーストウッドがゲストのとき本作についての会話が印象的だった。ホストのリプトン氏が「見せない演出が多いようですが?」イーストウッド「カメラの前で泣いて見せるのは子供でも出来る」という発言。うーん、なかなか言えない台詞。全くその通り。ましてやキャストは実力派ぞろい、わざわざ演技を見せつける必要はないわけだし。
ラストは『ミリオンダラー・ベイビー』のように観客にそっと委ねている。
常に進化し続ける映画人クリント・イーストウッドの真髄。

ミスティック・リバー [DVD]

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