春の日は過ぎゆく(#486)

NHK-BSで『春の日は過ぎゆく』を鑑賞。
八月のクリスマス』のホ・ジノ監督2作目。主演はイ・ヨンエとユ・ジテ。
サンウは痴呆の祖母と父、叔母の3人と一緒に暮らし放送局で録音技師をしている。ラジオ局のDJでプロデューサーをしているウンスからの依頼で彼女の番組の素材録音のために同行することに。自然の音やそこに住む人たちの話を聞きながら各地をまわるうちに自然と2人は惹かれあう。永遠の愛を信じる純粋なサンウと離婚を経験している年上のウンス。至上の幸せは長くは続かなかった。サンウが本気になる度にウンスは不安に駆られ距離を置き始める。ウンスから別れを告げられ落ち込むサンウの前に、突然やってきて「会いたかった?」というウンス。サンウはウンスが理解できず、困惑し、自棄になる。ウンスの気持ちが他の男に向いていると察し落ち込んでいるサンウに祖母は「パスと女は逃げるのを追いかけてはいけない」と声をかける。その祖母も他界した次の春。サンウの携帯電話が鳴った。突然ウンスから呼び出されたサンウは喫茶店で会うことに。喫茶店を出て満開の桜の下を歩く2人。ウンスの「今日は一緒にいようか」の言葉にサンウは1つの答えを示す。
この映画を観終わって、こんなに切なく感情移入した映画はあっただろうかと考えた。すごく楽しくて幸せな瞬間と後に、何故かやってくる別れ。バツイチ(当時の韓国での離婚した女性の評判は日本のそれとはかなりちがうらしい)のウンスにとってはサンウのような恋愛経験もない純粋な男との恋愛には不安を感じてしまうし、かつて失敗した結婚が見え始めたということもプレッシャーだった。しかし彼にしてみればそんなことはプレッシャーでもなんでもなく、むしろやっと見つけた真実の愛だったのかもしれない。
別れの後、サンウのとった行為もウンスが突然やってきたり電話したことも、2人がその愛に未練があった証。それでも迎えたあのラストシーン。
これ以上ない切なさを、これ以上なく繊細に描いた素晴らしいラストシーン。画角、露出(深度)、間、演技、音楽どれをとっても最高。観客はそれまで見てきた2人の結末に共通の答えを持ちながらも、サンウにもう一方の答えを望んでしまっている。
映画全体にホ・ジノ監督独自の美学・哲学が見えて、そのすべてが成功している。ほとんどアップのない抑制された構成、説明過剰な無駄なシーンも無駄な会話もなく非情にコントロールされていながらも、情感豊かで観客はその物語に引き込まれている。

春の日は過ぎゆく [DVD]

春の日は過ぎゆく [DVD]

最近出たDVDは既に在庫なし。それ以外は値段が高い。韓国のDVDは全体的にもっと安くして欲しい。