シネマ坊主

シネマ坊主』は前から気になってた本。そもそも素人が批評する時点で正直快く思ってなかったこの本。しかし目次を見てみると自分も見ていた映画がいくつかあったので物は試しと読んでみることに。
感想を述べる前にあらかじめ書いておこうと思うことは自分が松本人志自体をそれほど評価してないということ。これはこの本を読む前は意識してなかったことで、文章の中で松本自身を才能のある人間だと書いていたり、一時期一部の人たちの中でいわれた「松本=天才」を未だに引きずってる人たちがいることを知って持ち直した認識。
読んだ感想は、第一に見ている映画の範囲が広いということ。マトリックスのようなベタでいわゆる大作を見たかと思うと、単館上映のイラン映画を見ている。これは最後のあとがきで見る映画は自分で決めているわけではないとあるので日経側が決めているらしい。映画批評の内容からも実力不足の松本にこの選択はつらすぎる。むしろ松本自身が勝手に決めて見に行ったほうが、松本ファンは興味あるのでは?
映画批評が難しいのは書き手の映画歴が如実に現れるからで、基本は数を見てないと勝負にならないと思う。さらに、松本が批評するとなればそれなりに辛口でばっさりいくのを楽しみにするファン心理も分かるのでより困難になることは理解できる。その上であえていうなら、映画嫌いと書いているとおり映画に対する愛情が感じられないので辛口な批評をするとかなり嫌な気分になる。特に的外れな指摘だったり、自分の意見と違う場合(もちろん意見が違うこと自体は問題なし)に強く感じる。
星の数によって採点という方式を採っている本著で、あとがきで言い訳しているとおり星の数がいい加減。少なくとも批評というスタイルならば星の整合性だったり、ある程度の基準があるべきで、体調・見る順番・状況などで大きく変わると認識しているならば何の意味もない星を付ける意味が分からない。
厳しく書いたが、本著であるイラン映画に対する批評のなかで「ハリウッド映画がるからイラン映画のような地味な作品が生きてくる」部分には納得。確かに、松本の意図とは違うが自分自身はイラン映画好きなので全部がイラン映画みたいなのでも一向に構わないが、確かにすべてがそうなったら映画そのもののパイが減っていくかも。ああいう客寄せパンダ的な作品があって地味な作品を配給できるんだと。
ここでの批判は別にもっとまじめな映画批評をしろとか言うつもりは全くなくて、基本的にこのシネマ坊主は「松本+α」というエッセイでαの部分が映画だったというコンセプトなんだろうと思ってるし、それでいいと思う。ただ、あとがきで中途半端なものが一番つまらんと書いているのを読んでいると『菊次郎の夏』の批評はどうなんだろうかと思うわけで。一冊読み終えて、作品批評とお笑いという間で軸がブレてる印象がぬぐえない本だったということです。