ギア

来日中のリチャード・ギアの「中国に対する武器輸出反対」「中国の反国家分裂法反対」「小泉首相に同調する」らの発言。
以前このブログで、九条問題・憲法改正に対する日本のアーティストの態度(広告批評)について不満を書いたが、彼は自国アメリカのみならず中国の人権政策にも関心を持ちしっかり立場を表明している。これは彼だけでなく、ハリウッドのスターたちには良く見られる行動。
有名人としての彼の行動はとても評価できると思う。
どうして日本の有名人はそれができないのか。アーティストや、文学人、芸能人らは。
そこで考えてみると、最大の理由は主義主張がないことだと思う。特にタレントと呼ばれる人たちは、特に才能があるわけでないのにただテレビに出て、クイズやコメントで自身の頭の悪さを発揮している。よく言われることだが、外国人に言わせると日本のテレビ(バラエティ)には「人数が多すぎる」「芸のない人がテレビに出ている」らしい。
そういわれて衛星放送や、海外のTV番組を見てみると確かにホストが一人でゲストを招いてトークという名物番組が多かったり(『徹子の部屋』みたいな)、ニュース番組ですらいわゆるアンカーと呼ばれる人が一人でまわしてところどころで中継リポートを入れるスタイル。
そして、日本のテレビ番組に目を戻してみると、ニュースにも大きなテーブルにメインキャスターとコメンテーター、お天気など常にいる。バラエティ番組になれば正直いる必要のないタレントがいっぱいいると感じる。今まで普通に見て楽しんでいたバラエティ番組を一人一人いるのかと思いながら見てみると新しい楽しさがある。結局ほとんどのタレントは必要がなくただの飾り。特にクイズ番組ではそれが顕著で頭の悪い人たちのクイズ大会って趣旨が不明だし。これはつまり日本の放送業界におけるタレント事務所の力が強大なことと、放送作家もしくはホストとなるタレントの力の無さに起因していると思う。
次に第2の理由としては、仮にハリウッド俳優らのようにいろんな社会問題に興味があり、主義がある場合。どうしてそれを表明しないのか、できないのか。
これはファンの認識の違いなんだろうと思う。自分の演技や表現に自信を持って、ファンがそれを評価していれば、政治的だったり宗教的な発言をしても表現者としての評価は下がらない。逆にそれくらいで、離れていくファンはそれだけのものともいえる。
まともな主張とそれを支える理由を伝えれば、支持者は自分と違う意見であってもそれを理由に嫌いになるなんてことはないと思うし、本当に表明することで意見の違うファンが離れていくことを恐れているなら、日本人を馬鹿にしすぎているともいえる。ここは発言の制限されている北朝鮮や中国とは違うんだから。
結局日本人の歌手だったり、俳優は自分のことばっかり考えてるんだろうな。時々大地震などの自然災害が起きて国内で大きく取り上げられるとチョコットお金出して善人面。その国や地域が抱えてる問題なんか考えもしてない。自分がファンや国民にいいことしてる姿をアピールしたいだけ。自然災害や事故はあっても、政治的・宗教的問題なんてこの地球に存在してないみたいにみえる。