日本アカデミー賞受賞作(#014)

壬生義士伝』今日改めてみました。
昨日の日本アカデミー賞の影響なんですけど。
あーぁ、でもさすがですね。新撰組のかっこいいイメージにはあの訛りはどうかなぁと思ってみてたんです。しかーし!中井貴一なんか最後の1人で飛び込んでいくシーンなんかもうかっこいい。田舎臭くてお金に汚い武士だったのに終盤ではもう、義理に生きるかっこいい隊士って感じです。
明治になって、明日満州へ旅立つ夫婦がやっている病院に1人の初老の男性が風邪を引いた子供をつれて訪ねてくる。そこで一枚の写真を見つけて・・・・。といった出だし。つまり回想なんだが、ストーリのテンポの緩急がすごくいい。見ていて退屈しない程度のストーリ展開があって、魅せるところはしっかり魅せている。映画の尺から言えば、幕末を扱ったすばらしい作品。
最近大河なんかもそうだけど新撰組ブームで、その中で無名武士を主人公に今までの新撰組ものとは一線を画す傑作。これはもちろん原作の良さに加えて、監督の力量といえるだろう(もう画がきれい)。
衣装の面でも、従来のというかよくある水色と白色のぎざぎざとは違って黒ベースで赤が入る新鮮な羽織だったのも印象的。当時の新撰組の武闘派集団のイメージからきているのか、よくできていたと思った。

マンガ原作の映画
ちなみに今日『あずみ』も見たんですが、いかにも漫画の世界。漫画原作の作品がだめというわけではないけど、漫画原作では傑作がなかなかでない。これは漫画がもうすでにカット割りをした一種の絵コンテとも見れて、それに引っ張られるためかもしれないなぁ。漫画は映画的手法を取り入れ進化してきた。しかし、これを映画化するときにはもう少し工夫というか単なる静止画から動画へといったように見えていてはだめでしょう。
この意味のだめさが顕著なのは映画『ピンポン』。僕は『ピンポン』も『あずみ』も原作を読んでないけど、ここでの問題は実際に読んでいるか否かではなく、そう(漫画原作と)感じるか否かである。
映画『あずみ』は、駄作ではないと思う。間違いなく『ピンポン』とはレベルは違うが、どうしてもイメージは残る。ストーリの進め方の問題も。映画化する際に、原作の週刊なり月刊のストーリ展開を引きずっているのは???。
そこまでして原作を守る必要があるのならば、映画化ではなく週一のテレビアニメ化をすればいい。そっちのほうが原作の意図するものに近づくだろうし、完成度が高まるでしょう。映画としての出来を気にしているのならば、基本的な設定のみを生かす、外伝的な話にしてしまうほうがよっぽどいい。個人的には。
blue』も同じく原作は漫画。魚喃キリコの原作なのだが、映画『blue』は素直に良作の映画という印象を受けた。透き通る画面から、臨場感・生活感があふれ、とても生き生きと描かれた等身大の女子高生がそこにいた。映画として『blue』は成功していたし、その後読んだ魚喃キリコの『blue』も良かった。映画のもつ良さをうまく使っていた。
つまり、今日ここで書いたのは漫画原作をけなすつもりも批判するつもりも無いが原作を映画化するということは、つまり何をしたいのか明白にするべきだということ。アニメ映画化でもなく、連続のTVアニメ化でもなく、実写化して映画化(1.5時間〜2.5時間の尺)にする意味は何なのか。そこをより分かりやすく、作り手側自身が明確に理解していない作品は見る側はそれを感じ取り不快に思うだろう。
まあ、アイドルや新人俳優が映画に出ているからと1500円なり1800円なりを払う人には関係ないことだが。そういう人は何も考えずただ見てください。お目当ての人を。そこに何があるのかは理解できないけれど。これは批判ではありません。映画にもこういった一面は確かに存在し、それによって興行として成功していれば、映画(興行)として一種の成功なのです。キャスティングにはそういった利害も当然考慮されているわけですから。

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