religion(#097)

僕ぐらいの年(20くらい)の人って宗教に興味ある?
去年英会話習いにキリスト教の教会へ通ってた。僕はキリスト教徒ってわけではないんだけど。世の中にはいろんな宗教がある。
結構中学生ごろから興味を持ってみている世界ではある。もちろん、何でカルトに引っかかるのかなとか、そっち系ね。自分の家は浄土真宗ってところらしい。既成の宗教でも何で今の時代に残っているのか不思議だし。
第一、既成宗教は形骸化しているから、先は長くないと思うんだけど。
でも、特に面白いのはやっぱり新興宗教。アヤシさが飛びぬけてるっていうかすごいでしょ!?あれだけマインドコントロール→お布施→マインドコントロール・・・・って何でうまくいくのか。まっとうな会社をベンチャーで立ち上げてもなかなか儲からないっていうのに。幸福の科学とか幸福なのって大川でしょ?
あと新興宗教は信者が必死でしょ。あれは面白い。チラシ配ったり勧誘したり。創価学会なんか公明党で今や与党。政教分離という言葉を知らないのだろうか?見えて無さがステキ。自分の入ってる宗教守るためには、ちょっとやそっとの矛盾は無視。この姿勢はスゴイ。政教分離の原則は一応憲法なんだけど。まっそういう政党を与党に招きいれたのは自民なわけで。何で問題にならないんだろうか?昔は共産と公明だけは政権に入れないって当然な思想だったのに。・・そう思うと毎回選挙で公明票は安定してるでしょ。創価の人が入れるからだけど、あの人たちって立候補者や政党の政策に全く興味が無いのに毎回投票所へ行って公明なり連立の自民なりへ機械的に票を投じる。うーん、すごすぎる。池田一人の一票が何票入れることになるのか。投票しながら矛盾は感じないのか。日本人である前に創価学会員だということに。
そう考えていると、在日韓国人朝鮮人の子孫で日本国籍を持っている人たちが団結して政党を作ってても不思議じゃない。人数的には十分な数あると思うけど。例えば北朝鮮への態度を軟化させることを求める政党を作ってもいいと思うんだけど。ただここで改めて思うことは、そうやって日本国籍を持っている人たちは創価の人たちよりよっぽど政治を考えている。やっぱり自分の宗教って言うだけで政治的主張も見ないで投票するなんて不自然だし、政治に関わる権利を愚弄しているとしか思えない。


本当に宗教信じている人って言う意味では新興宗教のほうが多いんだろうなとも思う。そういう意味では宗教としての意味を持っている。ただ信者の思考があまりにも稚拙だけど。そもそも他人にすがって救われたいなんて、自分勝手もはなはだしい。この“人間”が掌握した世界で人間が意図的に創り出した神を崇め、その存在を認め続けることにどんな意味があるのか。
そういった意味では、現在の日本に広がる“いい加減な信仰”これこそが正しい、時代にあったスタイルなのではないかとも思う。仏教徒であってもクリスマスにチキンとケーキを食べ、ウェディングドレスを着て神父の前で永遠の愛を誓い、キリスト教徒であっても初詣に出かけたり、仏像に手を合わせる。
もはや、宗教的意味など一切持たない、ただの行事であり観光である。喜ぶべき「形骸化」なのかもしれない。この形骸化の中では集金システムでしかない坊さんの存在は不要である。


あー、宗教ネタだとどうしても政治と金の話につながっちゃうんだよ。