I thought about books.(#092)

Φは壊れたね PATH Connected Φ broke』。
森博嗣氏の新刊がもうすぐ発売になる。森博嗣のファンになってからもう何年だろう。でも、最近はVシリーズを敬遠し始めてからあんまり読んでなかった。漫画化された作品、詩、読みきりとかチョコチョコとは読んでたけど。あと、四季の『春』。面白かったんだけど、違う風なのが読みたくなってて。
僕は割りと本を読むのが好きなんだけど、本好きの人と話してて気づくことがある。スタンダードを読んでない。最近の作品はグッと来るものは読むようにしてるんだけど、それでも偏ってて。例えば、芥川、夏目、三島。全然だから。
最近になって『金閣寺』読みたいなぁとか思ってるんだけど、どうしても古さを感じるんじゃないか躊躇している。コアとしての感動は、昔の作品の中にも未だ行き続けていて今の読者にも伝わると思うけど、やっぱりその時期の、その雰囲気の中で感じるものが絶対にあると思うから。
本来作品に対してどう向き合うことが正しいのかは分からないが、評価する時にその作品の背景まで見えていないと言えない事がたくさんある。今の作家たちが幼い時に三島を読んで育って、それを意識して書いているとして、それを分かることができないことに対する悲しさもある。自分の好きな作家のルーツを知るために読んでみたい気持ちもある。
しかし、例えば安保闘争の時代に書かれた小説があるとする。その小説のメインは安保ではなく、その話題にもほとんど触れていないとしても、その文章からその独特の雰囲気や、臭いのようなものをどうしても感じてしまう。逆に、現代に日米安保闘争をテーマにした小説を書かれたとしたら、その本から感じる臭いは前者のそれとは明らかに異なると思う。つまりこの本は現在の読者のために書かれた作品であり、現在の人に理解される用に作られた作品だ。同様に安保時代に書かれた作品は、当時の今を生きる人に向けられた作品なのだ。
今という雰囲気の中で今を描いた小説を読むことが、その作品を理解するうえで一番いいと思ってしまう。
もちろん例外もたくさんあるのだが。だけど三島となると恐らく臭ってきそうだ(笑)。