Athens 2004(#088)

nmomo2004-08-10

いやぁもうすぐオリンピック。
ほどほどに楽しみにしてます。
この大変な中のオリンピック開催にはギリシャ政府は10億ユーロとも12億ユーロとも言われる警備予算を組んでいるらしい。日本円だと約1300〜1600億円。開催期間の約1ヶ月に1500億円。初めて聞いた時には莫大な予算(シドニーの時の4倍らしい)と感じたが最近では考えが変わってきた。
もちろんのことだけど、もしものことがあった時金額の問題じゃないこと。予算の割には対策が遅れて危ういこと、オリンピックの注目度などを考えると、十分な予算とは言い切れない。
不謹慎な例え話だが、もしもテロが起きて犠牲者が出たとしてもギリシャに対する世界からの不満・非難はそれほどにはならないだろう。アテネは施設建設の遅れによって、必要な警備の準備も遅れている。こういったギリシャ側の不手際があったとしても、アメリカやイギリス、日本での開催よりはずっと安全だ。そういった意味では、このタイミングでギリシャ開催だったことに感謝すべきかもしれない。
当然ギリシャ開催といっても、アメリカなどの選手や観客がテロリストに狙われることは十分に考えられる。テロリストにしてみればこれほど影響を与えられる機会は滅多にあるもんじゃない。
テロに対する警備の話をこうやって書いていると、昔哲学の先生が行っていたことを思い出す。「弱いものが強いものから圧力を受けた時には2つの選択肢しかない。それは、圧力に屈するか、テロをするかだ。」この言葉を考えるたびに、テロという行為とその意味について考えさせられる。だからといって、テロリストが選手・観客を狙うことを甘受することはできない。
では、テロを行う人たち、行うしかない人たちに僕たちは何ができるのか。テロを起こされると怖いからという理由ではなく、本質的な問題解決をするために考える必要がある。こうやって危険度が上がるイベントに10億ユーロもの予算を出すことで、テロリストたちを強制的に黙らせることにどれほどの価値があるのだろうか。
これが一番難しい問題なのだが。
と、ここで『しゃべり場』的な話題になりそうなので切り替える。


テレビのリポートでギリシャ人の反応を見てて面白かったのは、「アメリカのせいで窮屈な思いをするのがいやだ」と男性が言っていたことだ。確かに、ギリシャは今回の不安の原因を作り出したわけではないし、テロリストの標的にされるような覚えはないのかもしれない。自分たちの国で始まったオリンピックという国際的な行事が戻ってきたという喜びが先なのかもしれない。しかし、あまりにも国際感覚に疎い。こういった紛争がおきて、オリンピックが始まれば、自身の安全により気をつけなければいけないアテネ市民がこういったのんびりした発言。お国柄と言ったらそれまでなのだろうが。こういうところに、建設の遅れや警備に対する認識の甘さが生まれている原因があるのかもしれない、と思ったり。
あと、警備担当の女性。何であんなに自信満々になれるのだろう。メディアがこれほど、建設が遅れてるだの、間に合わないだの、警備が十分じゃないと言っているのに「完璧です。」その根拠はどこにあるのか知りたい。
テロリストに対する警告の意味があるのは分かるんだけど・・・。
もしギリシャ政府が今回のアメリカおよび協力した国に反対しているのならば、この10億ユーロ請求すればいいのに。



話はちょっと変わって。いつも作られるオリンピックのマスコット。あれってなんだろう。かわいくないし、利益もたいして出ないし。まあ、ワールドカップのもおんなじだけど。